横浜市中区の地域情報
現在の中区の区域一帯は安政6(1859)年の開港以前には、一寒村である横浜村、吉田・太田屋新田の埋立地、その周辺にある半農半漁の本牧・根岸の村々という静かな風景を見せていました。
開港後は西洋文明を取り入れる窓口になり、横浜の行政・経済の中心として発展を続け、昭和2年の区制施行時には人口28万人と全市人口(53万人)の半分以上を占めていました。
その後、南区(昭和18年)、西区(昭和19年)を分区し、戦後は被災や接収で復興が遅れたものの、次第に都心機能を回復し、工業・港湾・業務・商業・居住機能を合わせもつ地域として新たな発展をとげました。
昭和50年代以降は都心部を中心に都市デザインの考え方が取り入れられ、横浜の歴史や文化を生かした街づくりが進められています。
中区は「開港以来の歴史と異国情緒」という横浜らしさが顕著であるほか、高齢者人口比率、外国人人口比率、昼夜間人口比率の高さに特徴があります。
最近の傾向としては、都心居住志向の高まりによるマンション建設の増加等により、関内・関外地区で人口が増加しています。一方で、商業施設の集客力低下、放置自転車やごみの不法投棄などの問題も現れています。
民間事業者等によるいくつかの再開発計画が進められていると共に、市庁舎再整備とそれに伴う関内地区活性化の検討も行われています。また、初黄・日ノ出町、寿地区などでは、住民組織との協働による新しいまちづくりが見られます。
開港150周年に向けて、区内では象の鼻パーク、アメリカ山公園の整備、マリンタワーのリニューアル等が実施されています。
また、19年度に行われた区制80周年記念事業の盛り上がりが平成21年度の開港150周年記念事業に向けて継続され、区民提案のイベント等が実施されています。
■情報は横浜市より参照(http://www.city.yokohama.jp/)